旅行会社社員のツアー同行記~ルワンダスタディーツアー2018夏①~

現場へ行こう。アフリカツアー
フレックスインターナショナルは1988年の設立以来28年に渡り、幅広いお客さまの海外渡航を、ニーズに合ったお得な航空券の販売を通じてお手伝いしています。「現場へ行こう。体感型ツアー」は、世界がますますボーダレス化するなかで、ダイナミックな海外体験の機会を、より多くの方にお届けしたいと考えてスタートしました。また、フレックスインターナショナルでは、大津氏の「安全を超えるプライオリティーはない」の方針に賛同し、ツアーを実施する上で何よりも優先すべきは安全と考えています。航空券の提供だけでなく、「リアルな学びの体験」を提供したい。それが「現場へ行こう。体感型ツアー」のコンセプトです。
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「現場へ行こう。」

2014年から当社で企画催行している「現場へ行こう」アフリカスタディツアーが本年も実施されました。

まず、本ツアーの大津さんの言葉を紹介させて頂けたらと思います。

1つ目は『過去からの復興』,2つ目に『教育・子供』、3つ目に『新たな発展』という3つのテーマで、ルワンダの過去・現在・未来を見ていく。これらのテーマに関係のある場所や施設を訪れ、みなさんの五感をすべて使い、何が自分の中に残るのかを感じ取ってみて下さい。(大津司郎)

私事ですが、ルワンダに渡航したことのある友人や、ルワンダやアフリカを対象にした論文を書く友人が周りにいた学生時代を送ってきました。しかしながら、本を読んでも話を聞いても、どこか「遠い国」と感じていました。そんな中で今回、ルワンダツアーに同行させて頂きましたが、この機会を通して「遠い国のことを身近にすること」の大切さを感じました。同じ場所で、同じ日に、同じルートを廻ったとしても、ツアーに参加した方々が持ち帰るものはそれぞれです。大津さんが言う「何が自分の中に残るかを感じ取る」作業を行った結果はそれぞれなのです。

今回のブログでは20188月催行のルワンダツアーについて紹介させて頂いていますが、「現場へいこう」アフリカツアーにご興味のある方は、是非サイトページもご参照ください。ツアー内容だけでなく大津さんによるコラム「知ればしるほど底なしアフリカ」なども見どころです。では、少々長文ではございますが本題へ入らせて頂きます。

本記事の注意事項
※一部文章中にルワンダ虐殺に関する過激な描写や、写真などが含まれています。苦手な方はご遠慮下さい。 ※筆者自身の私的な考えが含まれていることを予めご了承下さいませ。 ※本文に出てくる時制は渡航当時の2018年8月時点のものとします。 ※本記事では登場人物を以下のように称します。 大津司郎さん:大津さん 毎ツアーにてお世話になっている大学の教授:甲斐教授

 

 

羽田空港集合、そしてキガリ道中

羽田~ドーハまで約11時間半、またドーハからキガリまでは一旦ウガンダのエンテベを経由し、約8時間のフライトです。最高フライト時間8時間の私は膝が持つか心配でした。しかし、カタール航空は前後の席の間隔にもゆとりがあり、エンターテイメントも充実していたので、心配をよそに機内では十分快適に過ごすことができました。

エンテベではエンテベで降りる乗客と、そのまま乗ってキガリに向かう乗客とに分かれます。機長、客室乗務員も入れ替わり、機内の掃除が始まりました。これは長距離フライトならではの光景でしょう。何事もなく無事に遅延もなく乗り継ぎもスムーズにできたので、安堵しました。(※昨年のツアーでは中東各国のカタールとの断交の影響でエンテベ~キガリ間が急遽運休になりました。)

キガリ到着、ルワンダの第一印象

キガリの空港についてまもなく、大津さんから「とにかく荷物を受け取ったら前の人に続いてすぐに移動すること」と忠告を受け、皆でいそいそと空港の外へ出ました。空港も隅々まで写真を撮りたいところだったが、場所によってはカメラをポリスに向けると「ハンズアップ」になりかねないため、撮りたい気持ちを抑えていそいそとワゴン車に乗り込みました。

空港からホテルまで約20-30分。自分も含めて、参加者の方々は車内からの初めて見るキガリの景色にくぎづけでした。「私は今アフリカ、ルワンダにいるんだなあ」と、よく画面や写真上でみるアフリカの人々の「頭の上に何かをのせて運ぶ姿」にすら感動したのをおぼえています。

虐殺の現場となったタラマ教会

2日目目。このツアーの本題がはじまりました。ホテルを出て車で走ること数十分で、最初の目的地である「タラマ教会」に到着しました。この日案内してくれたのは、カラフルな水玉模様のワンピースに身を包んだ華やかな女性でした。話を聞くと、彼女は親戚や友人を虐殺で亡くしたそうです。

大津さんがタラマ教会に訪れた当時は、とにかく「生々しい」光景だったそうです。帰国後に、大津さんが訪れた当時の映像をみる機会がありました。その映像にうつるのは、人間の骨、頭蓋骨、そしてキストになります。血がついて黒くなった沢山の服などが、足の踏み場もないほどに散らかっていたのです。その映像にあった教室にも入りましたが、私が訪れたときには地面には何もありませんでした。教室に入って直ぐに、世界中の人々が寄せたメッセージなどが壁に飾られているのが目に入りました。壁に目を向けると、黒く染まった部分がありました。それは子供が死ぬまで打ちつけられた血跡だというのですですが、説明が受けるまではここで何が起こっていたのか詳細までは分かりませんでした。それほどまっさらで、机と黒板があるだけの空間だったのです。

※タラマ教会は建物内の撮影禁止でした。

整頓された遺留品

敷地内にはいくつか建物があり、その中の1つに入ると、そこには多種多様な遺留品が残されていました。まず建物に入り目に入ったものは、お皿やカップなどのキッチン用品です。それから紙幣やIDカード(その当時はフツ・ツチ・トゥワを区分するためのIDカード)などの紙類がざっくばらんに入ったショーケースが置いてありました。また成人と子供とを分けて頭蓋骨がガラスケース内に整頓されて並べられていました。また大津さんはこの教会を何度も訪れているそうですが、来る度に「整頓されて綺麗」になっているといいます。

「ツチに対する虐殺」と表す理由とは

また、施設内でひと際大きいスペースをとった場所にはお墓がありました。あまりに数多くの死体があった上に、どれが誰の死体なのか認識できなかったそうです。そのため、墓1つ1つに名前があてられているわけではありません。亡くなった人々の名前が彫られた1つの大きな石碑と、それは地下にも及んでいました。地下へ行ってみると、そこには10畳ほどの部屋が通路を挟んで2部屋あり、そこには茶色い棺が重ねられていました。

タラマ教会では「ツチに対する虐殺」と説明されていましたが、つまりは逆もあるということです。フツの人々に対する復讐も起こっていました。そのことは大きく取り上げられず、また正確な死者などはここでも出てきません。わざわざ「ツチに対してのジェノサイド」と表したのは、1つのプロパガンダ(政治的な宣伝)でもあると甲斐教授は話しました。

敷地内の坂になっている一番上に皆で登ると、そこは小さな丘になっており、教会周辺を一望できました。ゆったりとした時間が流れ、のどかな景色が広がっています。施設の柵の向こうには牛を連れた3人の少年がいました。大津さんも参加者の方々も私も、何度も声をかけてみましたが、なかなか近づいてきません。「アフリカの日本人」と例えられるようにシャイな人が多いそうです。

さまざまな側面からルワンダ虐殺を見る「虐殺記念館」

タラマ教会で見てきた跡地をみてきた新鮮な記憶とともに、そのまま虐殺記念館へ移動しました。ここでは写真や文章をまじえたパネル形式で、「虐殺のはじまり」「女性と子供」「「ガチャチャ裁判(司法レベルではなく、地域社会レベルで実施されたジェノサイド加害者に対する裁判のこと)」「個人ストーリー」といったように様々なテーマごとに紹介されています。終盤には虐殺で亡くなった人々の写真や遺留品などがタラマ教会同様にガラスケース内に並べて展示されていました。

 

1994年4月6日

「虐殺は予測されていた。」

その当時取材をしていた大津さん、そして甲斐教授によってルワンダ虐殺に関する説明が始まりました。パネルを移動しながら、2人の見解も交えた貴重な学びの時間です。

ルワンダ虐殺が起こる直前の話が紹介されました。199446日にルワンダ虐殺が始まりました。その当時ルワンダにいたPKOの司令官であったカナダ人のロメオダレールは、「このままだと虐殺がはじまる」と思い、19941月の虐殺が始まる3ヶ月月前に「ルワンダで起こっていること」を国連本部に報告したそうですが、何故かそれは無視されたといいます。

凶器となった兵器

1994年の4月6日。ルワンダの空港に着陸しようとしていた大統領機に向けて、陸上から2発のロシア製のミサイルが何者かによって発射され、その内の1本が尾翼にあたり墜落しました。そこにはルワンダ大統領、閣僚、隣国ブルンジの大統領も乗っていました。それが「ルワンダの虐殺」のはじまりとなってしまいました。

大統領が乗った飛行機の撃墜の後、ルワンダの各地にはすでに「人を殺すための兵器」が行きわたり、雰囲気もできあがり、民兵の訓練も終わっていたそうです。民兵の訓練の内容は「20分で1人が500人を殺せる方法」だったといいます。そして未だに誰が撃ち落としたのかは分かっていないそうです。ナタというローテクで、そしてたったの約1ヶ月半で約80万人の殺戮が行われました。普通の人が普通の人をお互いに殺しあうという、残酷なものでした。そして、イギリスと中国で作っていたというナタの輸入は、世界銀行の援助によって調達されたそうです。輸入の目的は「農作業のため」と伝えられていました。イギリスと中国で作られていたそのナタはルワンダの各地に行きわたり、殺戮の凶器になってしまったのです。

 

女性と子供

ルワンダ南にあるニャラブイエというある教会での話がここで紹介されました。紛争での一番の被害者は女性と子供だったそうです。その当時、レイプ専門の部隊がつくられており、その中には必ず1HIV保持者を入れていたといいます。「夫と子供が殺され、女性はレイプされて気がついたらHIVに感染していて、妊娠もしていた」という女性が数えきれないほどいたというのです。そういった女性達がつくったグループが、ツアー後半に訪れる「アヴェガ・アガホゾ」という戦争未亡人被害女性自立支援NGOです。子供も過酷な体験をしているのは言うまでもありません。75分の子供が人が殺されている現場を見たといいます。
  一説によると死者は80万人、ルワンダ政府は130万人、ある研究者の発表では最も少なく50万人と未だに正式な死者の数は分かっていないといいます。それは、タラマ教会でも説明されたように、どれが誰の死体なのかが認識できない状況であったからだそうです。

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