旅行会社社員のツアー同行記~ルワンダスタディーツアー2017夏~

現場へ行こう。アフリカツアー


フレックスインターナショナルは1988年の設立以来28年に渡り、幅広いお客さまの海外渡航を、ニーズに合ったお得な航空券の販売を通じてお手伝いしています。「現場へ行こう。体感型ツアー」は、世界がますますボーダレス化するなかで、ダイナミックな海外体験の機会を、より多くの方にお届けしたいと考えてスタートしました。また、フレックスインターナショナルでは、大津氏の「安全を超えるプライオリティーはない」の方針に賛同し、ツアーを実施する上で何よりも優先すべきは安全と考えています。航空券の提供だけでなく、「リアルな学びの体験」を提供したい。それが「現場へ行こう。体感型ツアー」のコンセプトです。

「現場へ行こう」アフリカスタディツアー
2014年から、当社で企画催行している「現場へ行こう」アフリカスタディツアーが 本年も無事実施されました。これまでツアー担当として、多くのお客様を送客してきましたが、私自身がアフリカ 未体験だったため、現地事情や治安等の質問があったときに歯がゆい思いをしてきました。今回、参加人数が多かった為、同行することができたので 主な見どころをご案内したいと思います。ただ、今回予定していたツアー行程で、予定通りまわれた日は1日もありませんでした。アフリカツアーではいつものことですが、臨機応変な対応が必要なことを改めて痛感しました。

 今回はまず第一の関門となったのが、行き帰り利用したカタール航空です。
例年ルワンダスタディツアーでは、サービスと乗り継ぎの良いカタール航空を使うことが多く、 ドーハで乗り継ぎ後、隣国ウガンダのエンテベ経由でキガリへ行くスケジュールなのですが 今年はあいにく狙い撃ちされたかのように8月のエンテベ-キガリ間が急遽運休になり、新たにルワンダ航空を手配することになったのです。(中東各国の カタールとの断交の影響)エンテベでの乗り継ぎが6時を超え、丸30時間の空の旅はなかなかハードな旅となりました。ただ、こんな機会そうそうないので、エンテベ空港は隅々まで見てきました。 規模はあまり大きくなく、日本の地方空港サイズです。

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WFP(国際連合世界食糧計画)輸送機


 駐機場にはWFP(国際連合世界食糧計画)の輸送機も見られ、アフリカにいることを実感します。また、滑走路の拡張工事をしているのか、多くの重機が行き来していましたが、
いずれも漢字の表記があり、早速中国資本のパワーも感じました。土産物屋や簡単なレストランは完備され、後に訪れるキガリ空港よりは、規模は大きく感じました。 (そんなキガリ空港も、今後別の場所に新設される予定とか)


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ルワンダ首都・キガリ到着


 同じ航空会社間でも発生するロスト・バゲージ。 エンテベ-キガリ間が航空会社が変わり、
乗り継ぎも2回に増えたことで、より不安は高まります。ずっと心配していた荷物の心配はガイドの大津司郎さんの機転で、回避できました。現地の女性空港職員に一言二言声をかけると、それまで無愛想だったのが急に笑顔で 談笑しはじめました。
すると、わざわざ全員の荷物に漏れがないか、手荷物の積み降ろしの一部を動画に撮って確認してくれたのです。これには皆、大津さんのコミュニケーション能力に脱帽していました。

 そんなこんなで無事ルワンダの首都、キガリに着いたのは夜の10時を回った頃。
日本とは違い湿気が無いのでとても涼しく、比較的遅い時間にも関わらず、市内では女性が一人で歩いていたり安定した治安状況を垣間見ることができました。
 この日は明日からの本格的な旅の始まりに期待に胸膨らませつつ、深い眠りに落ちたのでした。

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虐殺の舞台となった「タラマ教会」


 2日目、ホテルで朝食を済ませ、まずはキガリ郊外にあるタラマ教会 へ向かいます。明るくなってから初めて見たキガリは、とても洗練された 街並で、自身のアフリカという漠然としたイメージが、いい意味で簡単に 崩壊しました。しばらく走ると緑が増え、道も未舗装になります。 赤土の煙を巻き上げさらに数分走ると、教会の看板が見えてきました。 虐殺の舞台となったこの教会では、被害にあった人々が身に着けていた 服が保存されていました。元は様々な色の服だったはずが、血で 全て茶色に変色した姿は、当時の凄惨な状況を想起させます。
 今、この教会は新たにメモリアル施設を増設中のようで、工事が 進められていました。 虐殺の舞台となった場所の作業員はツチ族もフツ族も一緒に行われて、
どのような思いで作業されているのかを考えると、なんとも言えない気持ちになりました。

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ウムチョミザ・スクール


 午後は、ウムチョミザ・スクールを訪問しました。
ここは、難民として日本に滞在されたマリルイズさんを中心に、 日本からの援助で立ち上げられた小学校です。話によると、学校が出来たころは、周囲にはなにもなく、学校ができたことによって家や店が増え今のような街並みになり、同様の学校も増えて行ったそうです。 授業風景を見学させていただきましたが、折り紙や日本の歌なども授業に取り入れているようで、一緒に折り紙を折ったりして子供達と触れ合いました。

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元少年兵 社会復帰センター


 翌日、元少年兵の社会復帰センターを訪れました。
子供のころに隣国コンゴへ拉致され、ゲリラ兵として育てられた彼らは、銃をもち人を殺めた経験もあるようでした。 平和な日本ではおよそ考えられないことですが、ルワンダはいまだにこのような多くの問題も抱えており、社会復帰も一筋縄ではいかないようです。
 様々なバックグランドを抱えた少年たちに太鼓の演奏とダンスで迎えられ、
ツアー参加者とバレーボールも楽しむその姿からは、悲壮感のようなものは感じず、むしろ未来への希望に満ち溢れているように感じました。

 子どもたちの明るい未来と、今も続く、ルワンダの深刻な問題を垣間見た一日でした。

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混沌としたコンゴ国境


 今日は急遽予定を変更し、コンゴ国境へ向かうことになりました。臨機応変に旅程を変える、そんな旅にも慣れてきたころでしたがここは衝撃的でした。国境ゲートはおそらく、最初に降り立った地がルワンダでなければ想像通りのアフリカでした。ゲート越しに見えるコンゴの町並みは多くがバラックのような小屋で、ルワンダとの差が歴然です。ゴミが放置されており、埃や体臭、ゴミなど色々なものが混ざった混沌の臭い。みな、様々な目的で行き来します。ライフルを構えた軍隊が定期的に監視しており、その横を麻薬の不法所持で捕まった男が護送された時は、一気に緊張が走りました。

 国境の町を経て、キブ湖畔のリゾート地、ギセニに降り立ちます。落ち着いた西洋風の湖畔リゾートで、午前中に見た風景との落差が驚くほどあり、また対岸のコンゴでは今でも戦禍が続いていると思うと複雑な気分でした。

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ルワンダに見えた「日本の影響力」


 翌日、ブタレまで到着までの国道はまだ一部工事中でしたが、ガイドの説明によると中国資本が工事を取り仕切っているとのこと。確かに漢字が書かれた車体の重機が 山並みの大地を切り崩し、後方には真新しく舗装された道路が出来ています。
 ルワンダは「千の丘の国」と呼ばれ、アップダウンが多いため、止むを得ないのですが、茶畑が広がる綺麗な景観は徐々に減っていくのかもしれません。また、峠の小さな町にも中国のスマートフォンの看板がそこらじゅうにあり、ルワンダ、ひいてはアフリカにおける中国の影響力を実感しました。残念ながら日本の影響力は総じて低いようです。
(ホテルやマーケットでも、「ニーハオ!」と声をかけられることが多かったです)
 いよいよ車は旅のハイライトのブタレにたどり着きます。

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見捨てられた遺体


 この街にあった技術学校では、虐殺の際避難所として使われ、当初国連平和維持軍が警護していましたが、国連撤退後に見捨てられたツチ族約2000人が殺され、多くがその場に埋められました。今では掘り起こされた遺体が多数安置されています。
 皆さんはミイラというと、普通は博物館にある何千年も前のものを想像されると思いますが、 ここにあるミイラは20年ほどしか経っていないもので、またそのままの状態(石灰とレモン汁で最低限の臭い消しは施されていますが)のため服を着ているものや髪が残っているもの、 子どもをかばうように覆いかぶさった親子のものなど複数あり、またミイラ状ではあっても 鼻を突く死臭がするため、あまりの衝撃に見学後は皆言葉を失っていました。
 事前に調べていたとはいえ、ここは自分の目で、鼻で、皮膚感覚で感じないとルワンダ虐殺を 語れない地であると実感しました。

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ガチャチャ裁判


 ブタレからキガリへ戻る途中、ガイドから説明を受けていた虐殺を行った人々の現在の状況を見る事ができました。

 事件の後、ルワンダでは多数の加害者の処分に苦慮しました。今回、虐殺を行ったのは10万を超える一般市民だったため、1人ずつ裁判をすることができず、また全員を刑務所に収監する事は国としての運営ができなくなるような状態だったため、多くは「ガチャチャ」と 呼ばれる地方自治体の集会で裁かれました。刑を受けたものはオレンジ色の服を着て労働奉仕を行います。このガチャチャ対象者は死刑にはならないのですが、人数が多く、通常の市民同士が裁くため、冤罪やプライバシーの有無など問題もあるようです。

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アフリカのIT立国の象徴「ドローン専用空港」


 前日の負の衝撃が残る中、打って変わってアフリカのIT立国を象徴する施設を 訪れました。そう、ドローン専用空港です。日本でもやっとドローンに対する法律などが議論されるようになりましたが、 ここルワンダではすでに実用段階にあります。というのも、平坦な地が少ないルワンダでは、トラックでの運搬は時間もコストも かかり、効率的ではありません。
そんな中、虐殺の際欧米に避難していた人々の 中で、避難先で勉強し技術を身に着け、帰国後ビジネスを立ち上げる人が急増。また欧米の資本もルワンダをドローン活用の試験場として投資し、現在では地方の 病院などに血液や薬品を運搬するまでに至り、
実際にカタパルトから射出される 姿は航空母艦から飛び立つ艦載機のようでした。

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アヴェガ・アガホゾ


 その後首都キガリへもどり、最後に訪れたのはアヴェガ・アガホゾというNPO法人です。
ここは虐殺で夫や親、子供を失った女性に、手に職をつけ自身でも生活ができるよう 支援するもので、ビーズの小物やネックレスなどの工芸品を作っていました。 中には日本のNGOを介して、日本に卸される商品もあるそうです。

 何人かから、家族を失ったときの状況なども聞きましたが、資料館などではなく、 実際に被害にあった方の口から聞く内容は、衝撃的でした。

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今後
 虐殺は多くの悲劇を生みましたが、奇しくもルワンダの発展に寄与する多くの人材も 生むことになりました。キガリの空港も手狭になり、近年中に新たな空港を建設するようで そうなればますます、人、モノ、金が動き東アフリカでの経済の中心になるでしょう。同行された甲斐先生も、来るたびに発展し、変化していると驚いておられました。

 問題は山積みですが、IT立国を目指すルワンダを、今後も注視していきたいと思います。

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